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カターレ富山が在ることで富山の人たちが幸せになるように。

株式会社カターレ富山
代表取締役社長 左伴 繁雄

更新日:2023年5月31日

東京都生まれ、慶應義塾大学 法学部政治学科 卒業。
1979年4月 日産自動車株式会社入社。
2001年6月 横浜マリノス株式会社(横浜F・マリノス)代表取締役社長 就任。
2008年11月 株式会社湘南ベルマーレ 常務取締役 就任。
2012年5月 株式会社湘南ベルマーレ 専務取締役 就任。
2015年2月 株式会社清水エスパルス 代表取締役社長 就任。
2020年3月 株式会社VELTEXスポーツエンタープライズ Executive Supervisor就任。
2021年4月 株式会社カターレ富山 代表取締役社長 就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

大雪の日に受け取った熱いオファー。

私がカターレ富山の社長になったのは2021年4月から。その前は2020年からバスケットボールB3リーグのベルテックス静岡のエグゼクティブスーパーバイザーを務めていました。清水エスパルスの社長もやって静岡には縁もあったので、そのままやるつもりでいたのですが、ある日突然、「カターレ富山、社長室長の齋藤です。折り入ってご相談が…」と電話が入ったんですね。私が執筆したものを読んで、経営のことについて詳しく話を聞きたいから一度富山に来てくれないかと。

いろいろあって行けないと伝えたら、当時の社長を連れて訪ねて来てくれました。そこでカターレ富山について語り合って、ぜひ私に経営を見てほしいと言われたのですが、「北陸電力やYKK、インテックなどの株主がいて、社長も代々それらの企業出身者が務めているのだから、納得してもらえないでしょう」と伝えたんですね。すると3カ月後ほどしたら齋藤さんから「説得しました」と連絡がきたんです。

それで、年が明けた1月に富山へ行って練習場やクラブハウスを見て考えようと思っていたのですが、ものすごい大雪でどこにも行けない(笑)。ご飯を食べて帰ろうと思っていたら、北陸電力の会長でもある、カターレ富山の久和会長が長靴姿で現れたんです。そこで2時間ほど話をしました。

プロの経営者としてやってきた私の主義として、仕事を引き受ける条件がふたつあって、ひとつは熱意を持って誘ってくれるところ。もうひとつは権限を保証してくれるところ。権限がなければ責任も取れないですからね。そう伝えたら、久和会長は「左伴さんに全部お任せします」とあっさりおっしゃったんです。これは普通ではないな、と思いましたね。

実は他のクラブからも打診をもらっていたのですが、その熱意を受けて他は全部断って、「ベルテックス静岡でやるか、カターレ富山でやるか考えるので、少し時間をください」と伝えました。

富山の財力、郷土愛をして、クラブがJ3に居るのは何かの間違い。

クラブを調べるとき、注目するのは財力と郷土愛です。カターレ富山そのものの財力、富山県、北陸地域の財力はどのくらいあるのか。やはりプロスポーツ界は資金が大事なんですね。そして地域フランチャイズでやっていくスポーツなので、郷土愛が薄い場所ではあまり栄えないんです。

富山の歴史を調べてみると、売薬さんが多かったり、第二次世界大戦のときは空襲に遭ったり、川が多いので水害が多かったり。さらに遡ると隣の加賀百万石の支藩だった富山は十万石で、侍文化のなかでは周りをうかがいながら暮らしてきた人たちなので、自分たちの土地を守るとか、自分たちで幸せになりたいという気持ちが、他の地域より人一倍強い。スポーツに関しても、相撲の朝乃山関も、バスケットボールの八村塁選手も富山出身というだけでみんな応援するし、サッカー界ではいまでも柳沢敦さんの名前が出る。郷土愛は強いなと思ったんですね。

経済界は北陸電力、YKK、インテック、北陸銀行などがあるし、1社あたりの法人所得が全国第5位。個人貯蓄率も高い。さらに、富山市は全国の住み続けたいまちランキング第1位(2020年時点/生活ガイド.com調べ)でした。地元に住んでいる人は地元が大好きだし、稼ぎもある。これはJ3に居るのはもったいないな、と考え始めました。

いま、営業収益1クラブ60億円時代に入っているのに、カターレ富山は5億円。富山の財力、富山の郷土愛があって、もしJ2とかJ1の下位にいるなら、「そこそこやっているな」という印象ですが、J3で昇格争いにも引っかからない、しかも元J2で降格してから10年近くJ3に居るというのは、どういうことなんだと。

「これは何かの間違いだな。その間違いを正して結果を出せば、地元の人が喜んで幸せになってくれる勢いが他の地域よりも急カーブを描いてくれるだろうな」と思ったときに、富山へ行こうと思いました。65歳を超えて、長く住んだ厚木の家を売って普通は来ないですよね、誰も知り合いのいない土地へ(笑)。でも、それくらいの魅力があったし、可能性を感じましたね。

着任して見えた、ふたつの想定外。

最初の時点では、北陸電力やYKKが大株主、親会社という図だと思っていたんですが、調べたらそうではなくて、アローズ北陸とYKK APがひとつになってカターレ富山ができるとき、富山県全体で支えようということで32社が均等割りで株を持ったんですね。

J2からJ3に降格すると、クラブは減収します。Jリーグからの分配金が激減しますし、相手クラブの集客力が下がるので入場者数が減る。さらにJ3の方が遠隔地のチームが多いので、遠征費が増えるんですね。あとは、スポンサーで降りるところもあるので、降格したら無理をしてでもすぐに戻らないと経営は負のスパイラルに入ってしまいます。

ですから本来は降格したらJ2時代の主力選手を残すだけの資金を、親会社が増やさなければならないし、J3を良く知っている監督を呼ばなければならない。でもできなかった。それではJ2に戻れる訳がないんです。みんな当事者意識を持てないような持ち株比率で、減収を補填すべき会社がいなかったのは想定外でした。

もうひとつは、嬉しい想定外でした。いま、元気なオーナー企業が富山にはたくさんあるということを私は富山に来るまで知りませんでした。経営者が若くて、ポジティブにいろいろなことをやろうとしている会社がすごく多い。こういう人たちをもっとスポーツビジネスに巻き込んでいけると思います。彼らは自分の会社が発展することと同時に、富山全体が元気になることに対して、すごく熱い思いを持っている。創業からオーナーとしてやってきているので、地域に自分たちの利益を還元しなければいけないという気持ちが強いんですね。

我々が勝負をかけるために、昨年増資をして資本力を付けようというタイミングで応じてくれたのは、そうした40代~50代前半のオーナー企業の皆さんでした。株なんて、言ってしまえば紙切れです。それでも、試合に勝って順位が上がっていくときにオーナーや社員、そして街全体が喜び、カターレ富山が事業を続けてきた自分たちと同じ目的を持ったスポーツ集団であると認めてくれる人がすごく多いということが、想定外でした。社員を大切にする会社で働いている皆さんは幸せだと思いますし、富山にそういう会社が多くあることも嬉しいです。

いわゆる大企業のお膝元のクラブという路線から、富山県民のためのクラブという方向に振って、地元の会社に支えてもらえるようになっていきたい。個々はそれほど大きくないけれど、ある程度の規模で勢いのある資本家構成、株主構成にしていける。いまは、それを進めている真っ最中です。他のクラブではなかなかできないことだと思います。

諦めない姿を、お客様は評価してくれる。

現状では、チームが勝てなくても応援してくれるという人は、まだそう多くない。まだ富山の人はカターレ富山が自分事にまでなっていないし、それは我々の責任だと思っています。

社内については、社員ひとり一人が自分の実力を認識し、社員同士や上司と目標達成するためのすり合わせをしっかり行っていくということが求められます。私は化学反応主義なので、定期的に新しい人材を入れるようにしてきましたが、カターレ富山の場合は大企業の空気をもっと入れたいですね。大企業には仕事を進める上でのやり方やTPOなど、大企業だからこその良いところがたくさんあるので、そういう血が入ったほうがいいかなとは感じます。

当社の社員は現在13人ですが、もともと、その人数でやる仕事ではないんですよね。清水エスパルスでは40人近くでやっていたので、その時と比べるとどこかしらでサービスに穴が開いてしまったり、やるべきことをやれずに目をつぶってしまったりすることがまだある。そこは何とかしていかないとと思っています。

トップチームに関しては、勝っても負けても応援してもらえる状態にしていかないといけません。そのために、経営者として口を出すよ、と言っています。もちろん戦略や補強に関しては、チームで考えればいいけれど、口を出すのは「ハードワークをしろ」ということ。

試合の90分が終わった後、全員ユニフォームが汚れていろ、1対1のとき絶対に負けるな、球際のところは強くいけ、と。もちろん勝つことがいいんですが、お客様は諦めないところを評価してくれる、J3はシーズン中の6割勝っていれば昇格できますが、4割は負けるんですよ。その4割でこそ必死にサッカーをやっている姿を見せることが大事。それに加えてフロントの社員も仕事をしっかりやっているところがお客様に見えるかどうか、そこにこだわってくれと伝えています。

プレイングマネージャーとして手本を見せていく。

自由に指示を出させてもらっているので、結果が出なかったら、自分の給料を減らすとか、世の中に対して説明の場を作るとか、そういう責任はちゃんと腹を括って取る覚悟でいることは、社員に見せたいと思っていますね。

会社は社員が自分から進んでやっていける組織にしないと、成長しないと思います。でも、この業界はスポンサー営業も、チケットマーケティングも、物販も全て専門的な業務なのに、それら専門の人間がいるわけではないので、自ら課題発見して解決していくような業務ができないのも仕方ないんですよ。

だから、私としては社員に対して、「こうやっていくんだ」ということを伝えていくコンサルタントのようなこともやれないといけない。課題解決型へのはじめの一歩は社長がやらないと。つまり、プレイングマネージャーですね。そういうことは、日産からこの業界に来て学んだ一番のことですね。「スポンサー営業を一番稼がない社長は、この業界の社長ではない」とずっと言っていますから。もちろん営業部のメンバー別受注高の一覧に、左伴の枠がちゃんとあります。

カターレ富山はJ1で優勝をしなければいけないクラブ。

富山県のポテンシャルや、地元を好きな人が多いことを考えると、このクラブはJ1で優勝しなければいけないと思います。もちろん、現状ではまだまだ難しいですが、勝負の神様というのは細部に宿るというか、細かいところを少しずつコツコツと詰めていったときに、やっとこっちを向いてくれるものです。

J1で優勝する最低ラインは営業収益45億円くらいで、今の6倍くらい必要です。入場者数でいうと、いまは平均2900人ですが、最低8000人は必要なんですね。8000人の方に支持されるためには、自分たちは何をしたらいいかということを考えないといけません。例えば、まだ選手の顔と名前が一致しない人がたくさんいるので、こういうクラブこそ、監督や選手が町に出て、チラシを配ったり、企業訪問をしたりしていかなければいけないですね。

スポンサーには、資金が足りませんではなく、これだけあれば私たちはここまでやれますし、そうしたら富山の皆さんがこのくらい喜びます、ここまで行けたらカターレ富山を見に海外から人が来ますよ、と示していく。AFCチャンピオンズリーグをやったら、サッカーにはどれほどの経済効果があるのか、というところまで示していくことが大事です。

我々の活動を通じて、富山の人が元気になって、試合や試合以外の活動を通して、カターレ富山がここに在ってよかったと思ってもらいたい。農業と連携してサツマイモを作る「食農プロジェクト」をやったり、海岸清掃をしたり、そういった活動に協賛してくれる法人も少なくないんです。いまも、「Beサポーターズ」というJリーグのプロジェクトで、高齢者施設の皆さんにサポーターになってもらって、カターレ富山を応援することで元気になってもらっている。そういったことができるってすごいことですよね。

そうした場を広げていって、最終的にはトップチームが試合で結果を出して、J3で優勝、J2で昇格、J!で優勝して、富山駅前、高岡駅前で号外が乱れ飛んで、市電で優勝パレードをして、デパートで優勝セールが開かれる未来が描ける。そういった経験を私はしているので、私が見えているものを信じています。

そういった経済効果のほかにも、サッカーはグローバルスポーツなので、アジアなどからツアーで試合を見に来てもらうといった観光にも資することができます。可能性はたくさんあるんですよね。今まではそれに気づけず、発信もしてこなかった。街の人も、長い時間は耳を傾けてくれないので、私の目が黒いうちにカターレ富山というプロスポーツチームが社会事業を通して、富山でこれだけ幸せになれるんだということを全国に示していきたい。だから、全国に散らばっている富山人には、「カターレ富山のある富山県に戻って来いよ」と伝えたいですね。

編集後記

コンサルタント
腰本 延由

左伴社長のお話はプロの経営者としての覚悟が随所に感じられて、非常に刺激的なインタビューでした。トップが変わると組織が変わると言いますが、その言葉の通り、左伴社長が就任されて2年間でチームは大きく変わりましたし、着実に良い方向へ向かっていると感じます。

印象的だったのは、「私はプレイングマネージャー」という言葉で、社長自らがトップセールスとして営業をされているエピソードは、まさに率先垂範でリーダーとして見習うべき姿勢だなと思いました。当社としても、J2昇格をサポートできるよう、全力でご支援させていただきます。

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